大阪マラソン(1)
10月30日に開催された「大阪マラソン2011」に九州の女性ランナーの伴走者として参加してきました。
昨年からの個人的な事情でなかなか練習ができない状態でしたが、直前の19日になって肋骨を痛めてしまい、整形外科に通院する羽目になり最悪の状態での伴走者でした。
もちろん相手の方には状態はお伝えしてあり、こんな状態でも良い、行ける所まで行くとの言葉をもらっていました。
当日は7時に地元の伴走者さんとともに出発し、会場の大阪城に向かいました。
スタートは「J」エリア、スタート地点までは22分かかりました。
ゆっくりながらしっかりと走るOさん。
私も練習不足で走るのが辛くなったころに、Oさんも歩きたいとのことで、速足であることにします。
5キロ地点から合計で8か所ある関門の制限時間が心配で、前夜に自分の腕に関門制限時間を油性ペンで記入してあります。
その距離と時間、タイムで伴走しながら苦手の計算です。
20キロ付近からは関門制限時間の10分前くらいしか余裕がありません。
でも、計算通りのタイムで着実に関門をクリアーしていきます。
最大のピンチは34キロ地点でした。
大阪の仲間たちが応援エイドを節えしてくれています、しかしその地点が関門の手前なんです。
疲れがピークに達している私たちはだんだん関門制限時間が近づいてくる中を34キロ地点に向かいます。
実際の関門は34キロ地点ではなく、その先の34.2キロ地点(200メートル先)なんです。
ギリギリで関門通貨を狙う身ではエイドはパスさせていただきました。
伴走している相手のOさんも同じ意見でした。
ただ、私たちの前にタレントさんでしょうか、TVのビブスを着用した集団がコースいっぱいに占領していて前に行けません。
「コースをください!!」なんど叫んだことでしょうか!!
なんとか関門の4分前に通過。
次の38キロ関門もなんとか通過でいました。
最後はフィニッシュですが、7時間の制限時間の直前・6時間55分40秒(記憶)で完走することが出来ました。
相手の完走はうれしいですが、それ以上に自分が完走できると思っていなかった不謹慎な伴走者の自分の完走を喜んでいます。
Oさんの伴走でしたが、実際は自分が伴走してもらっている状態です。
Oさん、ありがとうございました。
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